およそ3千年前に神山が水蒸気爆発を起こした際の岩屑なだれと、その後の冠ヶ岳形成に伴う火砕流堆積物が層を成す、扇状地の要(かなめ)にあたる扇頂部付近に湧出する。
開湯は古く、遅くとも鎌倉時代には眼病に効く湯としてその存在が知られていた。姥子の名は、金太郎こと坂田金時にまつわる伝説に由来する。枯れ枝で傷めた金太郎の目を、母親である山姥(乳母との説もある)が箱根権現のお告げに従ってこの湯で洗い、完治させたと伝えられる。
山深い湯治場として歴史を重ね、江戸時代・天保年間の温泉番付では東の前頭22枚目にその名が挙がっている。街道筋から離れているため箱根七湯には数えられなかったが、歴史の古い当温泉を加えて箱根八湯の名で呼ばれることがある。
周辺は近年、芦ノ湖や富士山を望むリゾート地として開発されている。
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