当初はアーチ型のトラス構体を新造する予定だったが、第一次世界大戦により資材の輸入が途絶したために、1888年(明治21年)に製造され、東海道本線の天竜川橋梁に架けられていたトラス構体の1つを鉄道院から払い下げを受け、転用したものである。
しかし、払い下げのトラス構体を使用することから、架橋の工事直前に神奈川県知事から「箱根の玄関口である早川に、使い古しの橋を架けるのは景観を損ねる」という意見が出るなど、あまり評判はよくなかった。このため、後に改築するという条件で工事が開始されている。
1915年から工事が始まったが、深さ43m・幅60mという深い谷に架橋するため、大規模な総木製の足場を組んで作業を行なった。このために使用された丸太は約1万本ともいわれている。完成は1917年5月31日で、翌日からは足場の解体にかかるというその夜、暴風雨により早川が氾濫し、足場は全て流失してしまったが、鉄橋本体には全く影響がなかった。
1923年9月1日に発生した関東大震災では、鉄道線が震災により甚大な被害を蒙った中、本橋は橋台を僅かに損傷した程度で、奇跡的に被害を免れた。震災前は国道1号は鉄橋の出山信号場側で踏切によって平面交差としていたが、震災後に国道側を掘り下げ、立体交差となった。
その後、改築の話は出ておらず、1991年にかながわの橋100選に選ばれ、1999年には現存する唯一の錬鋼混合200ft桁として登録有形文化財に登録されている。
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